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『 手紙 』

  唄と踊りと電子ギター、のなかひろしのブログスタート。。。

古惚け、カビの生えた何十枚もの手紙の束を、
昨晩、母が何気なく僕の部屋に置いて行った。
その手紙の束は昭和58年、
僕がまだ13歳の幼い時分に母に宛てたものだった。
母は大事にまるで宝物の様に
今日まで保管していたのだ。

手紙.jpg

22年前
僕は東京の東久留米市にある
私立の自由学園という
キリスト教の全寮制の学校に入学した。
そこで僕は
朝5:30起床、夜9:30就寝という
過酷な生活環境の中
毎日イジメにあっていた。
幼ながらに何とかしようと
毎日毎日、来る日も来る日も
一人でもがいていた。
一番苦しかったのは
学校でいじめられて寮に帰ると
今度は怖い先輩達に、夜中いじめられるという
何処にいても安らぐ事の出来ない環境下だった。
誰も助けてはくれなかった。
と言うかみんなも僕とあまり変わらない心境だったから
自分の事で精一杯だったんだろう。
なんせ小学校卒業してすぐ親元を離れたんだから。

家族に会う事が許されるのは週末のみ
ただそれも、学校のすぐ近所に実家があればの話し。
そんなはずもない。
その他、平日の外出も禁止されている上
テレビも禁止されている。
唯一、マンガと音楽だけはOKで、
寮ではいたる所で音楽が溢れていた。
そしておのおの絵を描いたり
ギターを弾いたりして遊んでいた。
たまにあの一世を風靡したJunSkyWalker(s)が
寮の食堂でライブをしてくれた。
実は彼らは僕の先輩で
当時、一緒の寮で一年間共に生活していた。
今でも交流はあるが寮生活のなごりで
会う時は常に緊張している。
13歳、彼らのロッケンロールな演奏を肌で受け止め
僕のロッケンロールが始まった。。。

 寮生活は刺激的だったが、
やっぱり甘えて育った僕は毎晩母を思い泣いていた。
入学して最初の頃は毎晩母に電話をしては
30分も40分も長電話をしては泣き崩れていた。
本当に会いたい会いたいの毎日だった。
でもやがて僕は電話をしなくなった。
それは電話で声を聞く事が
あまりにも辛すぎたからだった。
歯を食いしばって電話は我慢した。
その分、手紙をたくさん書いた。
その量たるや半端じゃなかった。

その手紙の全てを母は今日まで大事に持っていてくれたんだ。

「 私の宝物 」

と言っていた。

上から何枚目かのはがきを取り
軽い気持ちでそっと読んでみた。


『 お母さん元気ですか。僕は元気です。
きのうの夜、ぼくは、2時にねました。
だから、今日の朝、起きるのが、つらかったです。
でもちゃんとふとんはかたづけたし、
かんぷまさつもやりました。
ぼくは、今とってもねむいです。
 ぼくはとってもおかさんに合いたいです。
きのうお母さんに電話を、かけようかと思いました。
だけど、ここで家に電話をかけたら、
今までのど力が、水のあわだとおもったので、
ぐっとこらえてがまんしました。
これからも、こういう気持ちを、大切にしてがんばります。
では、お母さん。お父さん、さようなら。 』


途中で泣いてしまい、一気に最後まで読む事ができなかった。
だってなんで2時まで起きてたかって・・・
それまでずっと先輩にボコボコにされてたんだよー!
あー!あああーーー!!!
なのにその事は母さんに最後まで言えなかった。
言いたいのに
「お母さん助けて!」
と心の中で毎日叫んでいたのに。

手紙 (1).jpg

母は最近でもたまにこの手紙の束を読み返すと言うが
必ず途中で読む事が出来なくなってしまうと言う。
あの頃、僕だけじゃなく母も相当辛かったのだ。
家族には本当に感謝している。
僕がこうして人を愛せるようになれたのも
あの頃の家族の愛があったからだ。

その愛があったから僕はあの時を乗り越えて来れたんだ。


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